11月 132019
 

はぁ・・・世界滅びないかな。
ぶっちゃけ、俺は世界がどうなっても全然構わない。俺の人生なんてもはや修復不可能な負け組人生だし、このまま生きてても暗い未来しかないだろうし。「希望のない人生」というものは、それそのものが人を不幸にする。
思えば9年前の2010年、世界が滅ぶ切っ掛けはあったのだ。そう、ジャスミン革命である。カルタゴの故地であるチュニジアで起こったあの事件で、リビアもエジプトも政権転換し、そのままサウジやシリアに飛び火し、世界各国がシリアに軍事介入しそうなところまで行った。
あの時俺が余計なことをしなければ、そのまま世界大戦になり、その結果世界は滅んでくれてたのかもしれなかったのに・・・。ああ、俺のバカ。自分で自分の首を絞めるようなことを何故してしまったのか。
ローマ法王も辞任したし、シリアへの軍事介入もポシャってしまったし、せっかくアーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」と「2010年」に起因する千載一遇のチャンスは潰えてしまった。また何かあるとすれば、その9年後の2019年つまり今年だったのかもしれないが、何も音沙汰がない。サウジとイランにもっと頑張ってほしかったのだが、両国ともおとなしいままだ。
ここ数年でいろいろなディストピア小説を読んだが、マジであんな感じになりそうな気配である。中国なんて監視カメラが3億台とか言ってるし・・・。
テレビで安倍の野郎の黄色いネクタイを見るだけで怒りが湧いてくる。もう滅んじゃっていいよ、世界。

10月 312019
 

神を信じるというのは、神のいうことを何でも聞くということではない。迷った時に「神様っているのかなあ、いないのかなあ、いるはずだよなあ、よし神様がいると信じよう」と、神の存在を「信じる」ことである。それは、神の存在に疑いを抱かないことではない。疑いながらも、とりあえずいると信じる、それが神を信じること、だ。
俺は、神というのはこの世そのものだと思っている。この世というのは、要するに全宇宙だ。この地球も、月も、太陽も、宇宙の一部である。つまりこの全宇宙そのものが、神と等しいと思う。
宇宙は絶えず膨張していて、それは終わることがない。遙か太古のビッグバンの時から宇宙は膨張を続けていて、それは永遠に続く(だろう)。もし宇宙が終わる時は、熱的死を迎える時だとか、科学的な理論があったような気がするが忘れた。
とにかく宇宙は無限に果てしなく、終わりがなくて、ということはつまり果てがないのだから、どこまで行ってもそれは99%だということだ。有限であればどこかで100%に達するはずだが、果てがないのだから終わりまで到達してもそこは99%のはずである。
そう、この世は、常に99%の状態を保っている。故に完全なものなどどこにもない。
そして人類最大の命題である「神は実在するか?」という問い、これに対する答えも簡単に導き出すことが出来る。それは「絶対にわからない」だ。何故なら、この世つまり全宇宙が99%である以上、それに重なり合う神という存在も、99%でしかありえないからだ。99%までしか存在し得ないこの世に100%重なり合う神、その存在をどれだけ探求しようとも、その答えは99%までしか導けない。99%の100%は99%である。
よって神が実在するかどうかという問いの答えには、どんなに頑張っても99%までしか辿り着けない。だから絶対にわからない、のだ。それが神という存在の本質である。そしておそらく、その残りの1%に悪魔が入り込んでいるのだろう。
故に我々は、神を信じるしかない。いるかいないかわからないが、いることを信じるしかない。それが「神を信じること」である。それは確かに苦しい。確証のないものを信じることほど苦しいことはない。けれどおそらく、皆感じているはずだ。身の回りの自然現象、それは風のせせらぎだったり、大気のうねりだったり、葉の擦れる音や、鳥の囀りや雷鳴の轟きだったりするかもしれないが、そういった有象無象の現象の中に、神の存在を確かに感じることがあるということを。そう、神はこの世つまり宇宙そのものである。だからそこにいるのだ。
もちろんそれに関しても確証はない。何故ならどれだけ突き詰めようとも、答えは99%だからだ。この世の究極の問いの答えが99%なんだから、我々が迷える存在なのは当然だ。だから「神様っているのかなあ、いるはずだよなあ、信じるしかないよなあ」と神様を信じて生きるのだ :-p

10月 262019
 

俺の読んでいるブログの主が、アフィリエイトを貼って小銭を稼いでいるという。
そういう「ネットで小銭を稼ぐ」というのは、一昔前にはずいぶんもてはやされた話題で、俺も興味があった。事実、俺も昔運営していたホームページには、アフィリエイトの広告を貼っていたものである。
しかし今や、そういうので稼ぐのはまず不可能だということを皆がわかってしまったので、そういう話題に騙される奴はさすがにもういなくなったのではないだろうか。
そのブログ主も、最初は頻繁に日記を更新してPV稼ぎに四苦八苦していたようだが、最近は更新頻度もめっきり減ってしまったので、多分ネットで金を稼ぐなんてことはまず無理だということがわかったのだと思われる。
俺のホームページはかれこれ15年前に作って昨年までずーっと公開していたのだが、内容は「PCゲームの紹介・音楽CDの紹介・エッセイ・自作小説・歴史の考察・ブログ・掲示板」と、なかなか盛り沢山だった。作って数年後にはSSHが使えるサーバを借りて独自ドメインを取り、CGIなども使っていた。NAMAZUのサイト内検索も設置していた。なんというか、ああいう「古き良きホームページ文化」の時代は終わってしまったと思ったので、消してしまったが。
けどYahoo!カテゴリにも登録されてたし、ゲームの名前でググると全てのページ中の一番上に検索結果が出たり、ユニークアクセスで50000人以上来たから、割と良いホームページだったと思う。
思い出されるのは、南米にいた頃、ある零細SEO企業からメールが来て、「広告を載せてくれたら謝礼を払います」と言ってきたことだ。これは確か一ヶ月で1500円だか3000円だかの稼ぎになったんだったかな。認められた気分がして、結構嬉しかったな。その他アマゾンのアフィリエイトも貼ってて、合計で月に数千円の収入があった時期もある。結局「個人ホームページで広告を貼るのは邪道だ」とかわけのわからん強迫観念が出てきて、全部剥がしてしまったが。
当時のホームページのパーツは今でも全部とってあるが、素材は全てフリーソフトで作った。ン万円もするフォトショとかを使えばすぐに出来ることを、複数のフリーソフトで工夫して組み合わせて使い、いろんな素材を作ったのが懐かしい。
せっかくだから、当時の俺のホームページのバナーを参考までに貼ってみる。当時から飛行機とフライトシムが好きだった俺の、情熱の欠片である。いい思い出だ・・・。
 

10月 142019
 

若い頃に読んだ書物に影響される、という経験は、誰しもあると思う。大抵の人は、そういうのは思想の本だったりする。マルクスに傾倒したり、仏教の教えに傾倒したり、そういうのが一般的だと思う。
俺はどうかと言うと、歴史学の本に影響された。それも幸か不幸か、古代史の本、それも「鹿島昇や八切止夫のような人の本」に、ぶっちゃけ多大な影響を受けた。彼らの本を初めて読んだのは高校3年の終わり。近所の古本屋で新国民社の本を買い、適当に読んでみたところ、当時「純粋な少年」だった俺は(当然のことながら)多大な影響を受け、そしてそれは20年以上俺に良くも悪くも影響を与え続けた。
今となっては、そういう本の悪いところはよくわかる(もちろん良いところも)し、むやみに信じたりはしない。けれどたかが18歳の高校3年生の少年は、ああいうのに影響されると、なかなかその影響下からは抜け出せないものなのだ・・・。そのせいで大学では苦労した。歴史学の授業を受けても頭に入ってこないし、人と話す時もトンチンカンなことを言ってしまったりする。
今思えば、ああいう人たち、特に鹿島昇なんて人は、朝鮮人とか韓国のスパイなのではないか、と思う。ああいう人たちの言ってることを第三者の視点から冷静に観察してみると、マスコミの連中が朝鮮を大好きなのも同じ心情なのではないか、と思える。なんつーか「朝鮮第一主義」みたいな・・・。
けれどああいう人たちというのは、60歳とか70歳になっても尚、ああいう朝鮮第一主義に凝り固まって、おそらくそのまま死んでいくのだ。俺の叔父の一人もそういう人種なので、そういう連中の実態というのは何となくわかる。ある意味恐ろしい。ああいう考えの人間が、日本の上層部には少なからずいるはずである。どうりで日本は朝鮮の言いなりなはずである。
しかし、ああいう本を読んで影響を受けたことで、なんというか俺も「斜め上から物事を見る」という習慣ができたことは、素直に良かったと思える。学問に関して大事なことは「まず信じる」ではなく「まず疑う」ことである。俺はそれが行き過ぎて何でもかんでも疑うようになってしまったので、大学時代は苦労したが、けれど歴史学や神話学をやる上で、まず疑って斜め上から物事を見る傾向、それが身に付いたのは良かったと思える。
俺がああ言う書物の影響から抜け出れたのは40歳を超えてからだが、未だに何にもわかってない同期の連中の考えなどを知ると、逆に良かったのかもしれないな、とも思う。少なくとも、俺はある意味「結果を出している」ので、その通過点の経験としては間違っていなかったのだろう、多分。

10月 072019
 

ふと思い立って、「神無月の巫女」を見返してみた。思えば15年前、まだ俺が若かった頃、まだ俺に希望が少しは残っていた頃、まだ俺が外を出歩いていた頃・・・。そんな往時のアニメである。
実に懐かしい。当時は「女が女をレイプする」とか言われてかなり話題になったアニメだが、今見返してみても絵柄も古くないし、16:9のスクリーン比率だし、今でも充分に見れるアニメだった。
このアニメは主題歌がいいんだよな。KOTOKOのリサブがOPで、当時この曲は相当流行って、アキバに行くとどこの店でもこの曲のPVを流していたことを思い出す。あれからもう15年かぁ・・・。怖くなるくらい時の経つのは早い。
当時、俺は自作ホームページを作ったばっかりで、確か日記にこのアニメのことを書いた記憶がある。輪廻転生がどうこうとか、前世の記憶がどうこうとか、そういうことを書いたな、確か。自分の精神構造を探ってみると、当時からあまり進歩がないこともまたわかる。
このアニメは非常にロマンチックな話だと思うのだが、男と女では圧倒的に男のほうがロマンチストだろう。俺がそうだからよくわかる。輪廻転生とか前世の記憶とか、運命の人とか、そういうのに憧れるのは、一見女のように見えて、実際には男だと思うね、俺は。
まがりなりにも大学時代からインドのことや神道のことを勉強していた俺にとって、このアニメはどストライクだった。いつか見返そう見返そうと思っていたが、この度ついに見返した。やっぱいいわ、神無月の巫女は。AT-Xでやらないかな。

10月 042019
 

関西電力の経営陣が、地元の助役に脅されて金品を授与されて大問題になっているが・・・。
可哀想だよね、これ。あの助役が同和の大ボスで、無理矢理言うことを聞かされていたっていうのは、ネットには散々書かれている。俺は同和のクズさ加減は嫌というほど知っているから、ああいうどうしようもない輩がいても不思議ではないとわかっている。
まだテレビや新聞では「同和」の文字は全く出ていないが、ネット全盛社会のこのご時世、ネットに散々同和の仕業だと書かれているのに、果たして大マスコミがいつまで口をつぐんでいられるのか・・・。
小泉政権の時代なら、多分「同和」という言葉もテレビで取り上げられたと思うけどね。いろいろ批判もある小泉政権時代だが、同和利権にメスを入れたという点では評価されるべきだった。あの時期には関西の同和のドンのハンナンの社長も逮捕されたし、旧東京相互銀行の頭取も逮捕されたから、もし関西電力の事件があったら、同和に絡めて追求してくれたと思う。
それとも今回の事件を機に、また同和を非難する論調が再燃することになるのかな。それだったらいいんだけど。あのクズどもにはいい加減にわからせてやらないといかんからなあ。
思えば、南米に行った時も、あいつらに迷惑させられたな。南米移民なんて要するに同和の子孫だし、あいつらはどこに行ってもどうしようもない。子供たちは素直で可愛いのに、なぜ大人になるとああどうしようもなくなるのか。子供たちが可哀想でならなかったな。
あいつらがユダヤ人の子孫だなんて、誰がわかっているだろう。俺の歴史の文章を読んだ人間ならばなんとなくわかっているかもしれないが、外国人が同和のことを仮に知っても理解できないらしいからな。国家権力と結びついているから誰も逆らえないし。ほんと日本のガンだよ、同和は。
そういえば昔偶然発見して、非常に興味深いのでちょくちょく見ていた海外の「Israel’s Symbols」というサイト。残念ながら現在は閉鎖してしまっているが、今でもインターネットアーカイブで見ることができる。ここによると、「DAN」の「WAITING」の欄に「JUDGE」と書かれているが、よくわかっている人が作ったサイトのようだ。聖書を読んでも、歴史を勉強しても、あいつらには裁きが待っているだけだとわかるが、本人たちは死ぬまでわかるまい。ほんと「バカは死ぬまで治らない」じゃなくて「バカは死んでも治らない」んだよ。

https://web.archive.org/web/20180118210238/http://asis.com/users/stag/symbols.html

9月 162019
 

昨日うちで、遅い暑気払いがあった。弟夫婦と妹家族がやって来て、みんなで飲み食いした。
俺は・・・相変わらず無職童貞の実家おじさん。正直家族に合わせる顔がない。けれど長男ゆえ出席しないわけにもいかないので、最初だけ顔を出した。
飯はカーチャンが作ったご馳走なので、ありがたくバカ食いした。相当食ったと思う。腹いっぱい食い、酒もほどほどに飲んだところで、自室に避難した。
そして日曜恒例のラジオを聴いたりしながら、時々宴会に顔を出して、時々兄弟と会話をしつつ、居間と自室を行ったり来たりしていた。こういう俺の行動は、もう宴会の時のお馴染みなので、みんなも何も言わない。
それで夜7時半にお開きになった。
まあ兄弟は俺に気を遣ってくれるからいいんだけどね・・・。その旦那も奥さんも、俺が「可哀想な実家おじさん」なのはわかっているので、敢えて非難するようなことはしない。適当に会話していれば、相槌を打ってくれる。けれど子供は正直なので、妹夫婦の子供、つまり姪っ子たちは俺に怪訝な態度を取る。「なんでこのおじさんは時々いなくなるの?」みたいな・・・。
最近は姪っ子たちがうちに遊びに来ても、俺のことを無視することがちょくちょく増えてきたので、やはり「ねえママ、なんで○○おじさんは毎日家にいるの?働いてないの?」的な会話が繰り広げられているのではないだろうか。そんでもって帰る時に「○○ちゃんバイバイ」と言っても返事をしてくれない・・・。やはり子供は正直なので、俺のことは胡散臭いダメおやじだと思っているのだろう、多分。悲しいね・・・。
そんで体重は、食い始める前より2kg増えてしまった。せっかくこの2ヶ月で3kg減ったのに、昨日のバカ食いでまた増えてしまった。ううむ、今年のうちに95kgになるという目標が見えてきたのだから、また痩せなくてはならないな。
けど思ったのは、俺は若い頃からあまり見た目に変化がないのだけれど、弟がずいぶん老けたな、ということ。やはり社会人としていっぱしの経験を積んできた男だから、苦労が顔に現れている。話してる内容もすごく大人っぽい社会の話だし・・・。俺はそういう話についていけないので、余計に疎外感が沸いてくる。子供の頃はキャッキャ言ってたガキンチョだったのに、いつの間にこんな差がついたのか・・・。
というわけで、今年も多少鬱になる暑気払いだった。いつの日か俺も堂々とみんなの輪に入って持論を語れるいいお兄ちゃんになれるのだろうか・・・。